考える
考えるは大切だと学校ではよく言われていた記憶がある。
自分で考えて行動しなさいと言われ行動したものの
それは違うでしょと言われた記憶もある。
僕自身は考えたつもりだったのだがどうやらその人の理想とは大きく離れていたらしく
結局その人のやり方に従うこととなった事は多くある。もちろんその教わった方法の方が効率が良かったので何も文句は出なかったしありがたいと感じていた。
人に教わった方が早く問題を解決できるし何より楽だった。
メリットしかないと最初は思っていた。しばらくして僕も成長していく
そこでふと感じた、特にキッカケもないのだけれどもふと思った。
自分で自分の力で生きている感じがしない
友人とのドライブ中にそう思った。当時は専門学生だった僕
やることは、学校での勉強、ゲーム、友人との遊びなど大体このぐらいだろう。
すごく虚しい気持ちだった。毎日何にも考えずに目先だけの快楽に飛び込んでいた
正直この気持ちは今でもよく感じてしまうときがある。僕はまだ自分がやるべきことがわかっていないのだろう。
そんな僕だからこそ学べたこともある、自分の頭で考えなければこの先生き残れない。
自分で考え自分で選択することにより初めて自分で生きていると言えると思う。
今まで流されたきたと言うがそれは全て僕の責任だ。
自分が先のことを考えずに今楽な方を選択したのだ
他の誰のせいでもない僕の選択だし責任だ。
このことに気づけて本当に良かった、気づかないまま生きていたら
あれもこれも人の所為、環境のせいだと行って一生を終えていたのかもしれない。
しかし実際は、本当にあいつが悪かったのか自分に悪いことはないのか
など考えることができる
その上でやっぱりあいつが悪い、俺も悪いところがあったなどと選択できるのだ。
考える事で良質な選択ができるようになったり
新しい選択肢が生まれることもあるだろう
AかBしかないと思っていたのに実はCが存在したなんてことはよくあることだ。
僕は考えることを長い間放棄していたので考える力も弱い
僕という人間は薄く浅い
だが、これからは考え選択し行動することで少しでも理想の人間になっていきたいと願っている。
無題
僕は小さい頃から勉強をしなかった。小中高ただただ日々を過ごしてきた。
友人は多くいたしクラスの奴らとはそれなりに仲良くやってきたと思う。
小学校は野球を4年間、中学高校はバレーボールを合わせて6年間続けてきた。
小学校の野球はそこそこ強かったのでよく大会で優勝していた。
中学と高校の部活は残念ながらいつも初戦敗退いわゆる弱小校、練習は必死にやっていたでもあまり成果は現れなかった。それでも今振り返れば楽しかったはずだ。
さてここからが本題
今振り返ってみると僕は流されて生きてきた。野球も友人から誘われたから、バレーボールも先輩から誘われたから、夏の体育祭では先生から勧められたから組の団長にもなった。しかしこれらは全て僕自身が決めたことではないこと。そのことについて高校を卒業するまで気づかなかった自分に嫌気がさしたことを今でも思い出す。
自分が決めたことだと思っていても実は自分の外側の影響で本当は自分は決めていないことがこの世界には存在するのだろうと驚いた。
それと同時に、多分自分が一番楽しいと思えるのはその内側からの影響なんだろうと感じた。それならば内側の影響に素直になれば良いのではないだろうか。そうすることであまりにもつまらない人生というものに変化が訪れていくのではなかろうか。
僕にはまだわからない
この問題はあまりにも深く難しい。しかし、この問題から目を背け生きていくことはダメなんだとはっきりわかる。僕は頭はよくないし特別な力はまだ身に付けていない。
それでも考えることはできるはずだ。この問題、いやこの哲学に僕は挑戦していく。
成長するために、どのように生きるべきなのかを知るために。